あれは1998年の夏休み、家でごろごろとテレビを観ているところから始まった。「横浜高校」×「PL学園」。試合は白熱の大熱戦、横浜が1点を取るとPLが追いつく。そんな試合は延長17回まで続いた。そして最後は常盤良太の2ランホームランで振り切り、なんとか横浜高校が粘るPL学園を破った!感動していた。涙が出るくらい・・・しかも翌日からもまだ夏休みが続く。迷いはなかった。「甲子園に行くぞ!」高校時代の親友に速効、電話していた。「悪い!付き合ってほしいところがある!」突然の電話に驚く友人「で、どこ行くの?」当然のリアクション・・・俺は受話器を歓声でまだ沸いている甲子園が映し出されるブラウン管(ふるっ!)に近づけた。「・・・・?」まだ状況がつかめない友人に「甲子園に行こう!」とおもむろに告げた。

 

それから当時自分が乗っていたゴルフVR6で2人真夜中のドライブ!当時、まだまだ若かった2人は訳もなく「国道1号線をひたすら走っていこうぜ!」と無謀な挑戦をする。当然のことながら、途中で挫折した。確か東名高速の「富士」だったかと・・・その後は東名高速から名神高速をぶっ飛ばし、なんとか朝に甲子園に到着。準決勝の相手はこれまた名門の「明徳義塾高校」昨日、延長17回250球を一人で投げ抜いた松坂は当然、先発はせず2年生のサウスポー袴塚、試合はあれよあれよと6-0までずるずるといってしまう。現地で横浜高校OBで会社の先輩も応援に来ていて3塁側アルプスで観戦することができたのだが、あのシーンは遠いアルプススタンドからも球場全体がどよめき、観ることができたのだが、松坂が3塁ベンチ前でキャッチボールを始めたのだ。そして腕に貼っていたテーピングをはがす有名なシーンもすぐそこで行なわれているかのような錯覚をおこすくらい興奮していた。そして、逆襲は始まる・・・つづく

ページツリー